堀江貴文著「すべての教育は「洗脳」である」を読んでの感想
「何かに挑戦したいけど世間体を気にしてできない。。。」
「稼ぎ方のノウハウや自己啓発本でマインドについて学んだが実際の生活は変わらない。。。」
自分の人生について前向きになるために、
- ビジネス本
- 自己啓発本
- セミナー
これらから学んでいこうとする方は多いです。
本を読んだ後に何らかの形で実行し、自分の人生をより良いものにできたのならそれは素晴らしいことです。
しかし、本を読んだあとに
「素晴らしい考えだ!」
「これで人生は好転する!」
と感じても実際はそう簡単には変わらない。
ぼくもその一人です。
人が実際に変わろうとするのは周りのしがらみとかありますもんね
そんな方におすすめしたい本が「すべての教育は「洗脳」である」です。
以下はネタバレも含みますのでご理解の上読んで頂けたらと思います。
学校でなぜ勉強するのか?
「なぜ学校で勉強しなければならないの?」
と子どもに尋ねられた時、答えられますか?
ぼくはなぜ大人になったら必須の税金や国の仕組みについて詳しくやらずに加法定理を一所懸命覚えさせられるのだろうと疑問に思っていました。
学校とは、
国が「使いやすい労働者」を生産する機関
と本書では述べられています。
学校という空間で常識こそが正義と教え込むのです。
学校の存在する目的は「使いやすい労働者」を生産することなので、ある能力だけ高い人材よりオールBを取れる人材の方が優秀という価値観なのです。
「東大を卒業したのに、仕事は全然できない」
といった、学校での教えを高いレベルでこなせる人でさえ社会に出て仕事ができないと言われてしまうのはこのためです。
学びの本質
日本人にとって学びとは、
机に向かって一生懸命知識が身につくよう勉強すること
このように考えることがほとんどではないでしょうか?
しかし、ただ漫然と教科書をなぞることは学びの本質ではないのです。
- 新しい知を切り開き
- 新しい仕事を生み出し
- 未来へ突き動かす
本当の学びは、没頭の中にあると述べられています。
自分で考え没頭する境地はただ与えられた教科書をなぞる「お勉強」とは違って脳が楽しさを感じるものです。
没頭することで知らず知らずのうちに学びを得る。
自分で考え、自分で行動することが学びで大切なのにもかかわらず学校という環境では受動的な勉強になりがちなのです。
オリジナリティは「タグ付け」から
いかに個人がレアな存在になるかということが大切です。
他と差別化ができないということは、替えはいくらでもいるということと同義だからです。
例えば、事務系の会社員は東京にはいくらでもいます。
しかし、YOUTUBE配信をするExcelオタクな会社員となると希少性が上がります。
会社員 ✖ Excelオタク ✖ YOUTUBE配信者
という3つのタグがここでは上げられます。
資格や卒業した学校ももちろんこのタグに入るけど、果たして時間に見合ったリターンがあるのか?それを考えることが重要です。
学校の教育ではオリジナリティを発揮する方法は積極的に教えられません。
学校⇒会社という労働者スタイル
学校と会社は似ていて、会社で学ぶのは
- 世の中の常識
- 社会人の常識
- 会社内の常識
を刷り込んできます。
嫌な出来事や業務があるのが社会として当たり前で我慢することが社会人のあるべき姿だと。
ぼくもIT企業に勤めていたので、このような状態が当たり前のようにありました。
しかし、果たして常識が正しいのかは疑問でした。
我慢を常に強いられるような環境では実力も発揮できません。
常識の中に、
会社を辞めることは悪
という考え方があるように感じます。
別に個人が働きやすいと感じたところで働けばいいのでは?という真理はないがしろにされて盲目的に悪と見なしているようにすら感じます。
この本では、常識という名の洗脳をいい意味で解いてくれる。そんな本でした。
終わりに
学校の教育がいかに日本人を画一的なものにしているか改めて考えさせられました。
「日本の学校・会社は非人道的」
という偏った考えでなく、
「常識で片付けていたもののうちのいくつかはよく考えたら取るに足らないことじゃない?」
というフラットな目線で読めば面白い本だと思います。
筆者堀江貴文さんは過去テレビでも話題になったので、アンチが多いように感じます。
しかし、ぼくは堀江さんの本に書かれている視点は人生を前進させるために重要だと感じました。
それではまた!
コメント